大晦日、毎日新聞朝刊二面の山田孝男氏のコラム「風知草」を何度か読み返しています。
タイトルは、「人にはどれだけの物が必要か」というもので、言語社会学者鈴木孝夫慶大名誉教授のタイトルを借用して、経済再生の視点を問うものです。
鈴木名誉教授の著作は、ロシアの田舎の貧しい小作人パホームの逸話として、生活のために土地を買い求めるパホームが、より多くのより良い土地を求めて、辺境の土地に赴き「一日歩いた分だけ土地を1000ルーブルで譲りましょう。但し、日没までに戻れなければダメです」を実行した話です。
パホームは、時を忘れて遠くまで歩き、日没の刻限に気付いては半狂乱で帰着したそうです。と同時に、血を吐いて死にました。パホームの下男は穴を掘って彼を埋めました。つまり、彼の必要な土地とは、彼が埋葬された土地だけであったと言うものです。
鈴木名誉教授も、地球資源は有限であるから、使い捨ての消費観光がはびこれば文明が滅びるとして、個人的な実践をしました。買わずに拾い、捨てずに直す。それは著作の写真にも凄みを持って掲載されています。
しかし、この鈴木名誉教授の奮闘は、2008年で終了したそうです。なぜか。この時、鈴木名誉教授の住む地域は、資源ごみの持ち去り禁止を含む条例を制定したからです。それは、なぜか。ゴミの中に個人情報があるという理由でした。確かに、敏感な住民感情もありましたが、ゴミ回収業者の利害もあったとされます。
これは、「文明の病」なのでしょうか。こう掲載されていました。
さて、今安倍総理は、①金融緩和 ②財政出動 ③成長戦略 をサ三本の矢として「アベノミスク」との経済政策を低回しようとしています。現時点の円安や株価の上昇などを見れば、方向性の正しさと一定の効果があったことは間違いないと思われます。
問題は、「成長戦略」にあるに違いありません。いかなる成長戦略なのか。言い換えれば、創られたお金の行方は何所かと言うことにほかなりません。更には、公共財や社会資本に対して、国が資金を出してから本当の消費が喚起できるかどうか。個人消費を呼び起こす成長戦略が必要だと思います。
更に、日本の誇る貯蓄の殆どが高齢者の現預金であることも大切な要因です。また、現在のデフレの実態は「資産デフレ」であることから、私達の資産に対する考え方の大きな転換も必要です。ストックかフローの時代を政治的に支えていく中で、フローの底上げを施策として打つべきではないでしょうか。
既に私達の廻りには、ものが満ち溢れています。ものの文明が終焉しようとするときには、多くの迷いがあるに違いありません。そして、目指すべきは、こころの文明であり、人が人らしく生き抜くための精神の開拓が必要だと思います。人間の独りよがりが、絶対安全の神話を誤謬を作り上げ、あまりにも大きな力で打ち負かされました。人は、人だけでは生きていけないのだと思います。人類には全てに対する「調和」が大事ではないでしょうか。
政治は、本然的に持つ人間の力をよりよくサポートすべきだと考えます。政治とは、負託された責任のリーダーシップなのだと考えます。