2013年茨城県日中友好協会の新春交流会が開催されました。
交流会は、元中国大使の佐藤嘉恭氏の「今後日中関係について」の講演があり、同氏はね自らが日中関係に携わったきっかけとなった1965年のバンドン会議について触れました。この会議は、中国は周恩来首相、日本は川島正二郎副総理、仲介をスカルノ大統領であったと述べ、その記録係りであったとと紹介しました。
そして、ここで周恩来首相が、これからの日中関係を展望して、「日中関係を重要視する」「これからは青少年交流を発展させる」としたことが、改めて重要であったとしました。それは、当時の状況から考えて、日中に横たわる困難をいうのではなく、大局に立つ展望を述べたことが日中の未来を決定づけたというものです。
また、同氏は、アメリカに赴任した時のこととして、アメリカの対中政策を調査してみると、いかなる局面にあっても、対中交渉窓口を常に確保していたことに感銘したと述べました。つまり、時代の表層に捉われず、いかなるシグナルが対話の窓口になるかを模索しているということだとしました。
この周恩来首相とアメリカの対中政策は、展望と対話継続により深まっているとして、いかなる局面でも民間交流を絶やしてはならないと述べました。
今日は、程永華駐日大使夫人の汪婉友好交流部参事官があいさつに立ち、茨城県日中友好協会が、橋本知事が会長であることや、水戸徳川と朱瞬水との関係性などから、字有用な役割があると述べました。
思えば、現駐日大使である程永華氏は、国交正常化初の留学生として1975年に創価大学に留学されました。この年、私も創価大学5期生としており、直接の交流はないものの4年間同じ大学のキャンパスにいたことを思います。
留学生を大事する創価大学は、将来母国を背負う人材として留学生を大事にし交流して来ました。その将来の現実に驚くばかりです。夫人の汪さんは、私が知る前から主人を知っているのですねと話されました。この見事なお話にも、友人を大事にする心があると思われます。隣国中国を大切にすることは、日中の発展と平和の進展に大事です。今日も、民間交流による友情の一歩を進めたと思うのです。