いかなる状況にあっても、人間には未来を開く力や希望があることを教えてくれるコラムがあります。
創価学会の機関紙「聖教新聞」には、波乱万丈な人生の一コマを活写した心洗われる記事に数多く出会うことができます。
そんな中で出会ったコラムです。
名字の言
▼在宅緩和ケアを行っているクリニックの10周年の集いに参加した。末期や重篤な患者さんが自宅で生活をするための、こまやかな支援を続けている。明年はターミナルケア(終末期医療)の全国大会が、このクリニックを中心に行われるほど、信頼と評価が高い
▼集いのメーンのプログラムはピアノ演奏だった。インターネット回線で、演奏者の自宅と会場を結んだ。居間のピアノに向かう高齢女性の姿が、スクリーンに映った
▼彼女はごみに埋もれて息も絶え絶えになっていた状態から、クリニックにつながった。認知症があり、家族も意思の疎通がしづらかった。ごみ出しから始まった支援。彼女は、支えられながら、生活と健康を立て直していった
▼「昔、ピアノが得意だったんだ」。そのつぶやきをスタッフは聞き逃さなかった。「10周年記念行事でピアノを弾いてよ」。彼女に生きる張り合いができた。少女時代に練習したピアノ曲を、指が覚えていた。演奏は大成功。参加者に希望と勇気を送った。「私は、今、とてもしあわせ」が今の口癖という
▼たとえ、今、どんな状態であれ、人には未来を開く無量の力がある。希望がある。それを見つけられるか。聞き取れるか。心のアンテナを磨きながら、支え合う私たちでありたい。(哉)