好き嫌いで判断する「思う人」、説得と強調を目指す「考える人」、うそのほんとの見極め大切に。

 朝日新聞の日曜版のコラム「(日曜に想う)『考える人』から『思う人』へ」は、ポピュリズムの萌芽が既に世界中で起こり、その精神を突き詰めると「考える人」から「思う人」が、世界を席巻するのではないかと警鐘しています。
 考えるとは、本を読むような努力の積み重ねではないでしょうか。思うとは、見ると言う反応のように思えます。
 コラムは、ナチスに抵抗したプロパガンダ組織「白バラ」を通して、小さな謄写版から紡がれた文字の力の真実を信じているように書かれています。
 私も、単なる好き嫌いではない、できれば知性と理性の「考える」を身に体したいと思います。
(日曜に想う)「考える人」から「思う人」へ 編集委員・福島申二 2017年1月22日 抜粋です。
 もはや旧聞に属するが、米誌タイムは昨年末、恒例の「今年の人」にトランプ氏を選んだ。だが選ばれるのが毎年著名人とは限らない。その10年前は「YOU(あなた)」だった。
 誰でもインターネットを通じて自由に発信し、世界を動かすことができる。新しい時代の到来を人称代名詞で表したセンスに感心したのを覚えている。
 そんな時代を象徴するように、去年は「保育園落ちた日本死ね」という匿名の発信が拡散した。政治をゆさぶり、波紋を広げるのを眺めながら、思い出した一冊の本があった。ナチスへの抵抗運動で処刑台に消えた学生たちを伝える「白バラは散らず」(未来社)である。
 「白バラ」と呼ばれたグループはドイツの良心として語り継がれる。手もとにあるその本には、自分たちの意見を社会に広めるために「謄写機をぜひ持つべきだ」という学生の言葉が繰り返し記されている。ネットなどない時代、学生らはタイプライターで原紙を打ち、一枚ずつ手で刷って密(ひそ)かに配布した。
 ビラの末尾にはきまって「本紙を複写し、さらに配布されんことを!」といった呼びかけがあった。巨大で凶悪なプロパガンダ組織だったナチスに小さな謄写機で必死に抵抗し、ついに捕らえられた学生たちに胸が詰まる。
 今のように携帯から瞬時に発信、リツイートできる時代だったら、若く聡明(そうめい)な彼や彼女の運命は違っていただろうかと、想いはそこへ飛んでいく。
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 「ポスト真実(トゥルース)」という聞き慣れない言葉が、昨年来、またたく間に世界に流布した。好ましい言葉ではない。平たく言えば、事実や真実よりも感情的な言辞や虚言、あるいはうその情報に民意が誘導されていく状況をさしている。
 英国の国民投票でEU離脱派が勝利したが、あとで公約は虚言まじりだったことが判明した。米大統領選ではデマのニュースが繰り返しネットに流れ、自らも虚偽発言が多いとされるトランプ氏が勝利した。この言葉の使用頻度は前年に比べて20倍に跳ね上がったそうだ。
 「うそとほんと」と題する谷川俊太郎さんの詩が胸に浮かぶ。
〈うそはほんとによく似てる ほんとはうそによく似てる うそとほんとは 双生児/うそはほんととよくまざる ほんとはうそとよくまざる うそとほんとは 化合物〉
 かわいい詩ながら恐ろしい。そして虚実のモラルが溶解する閉塞(へいそく)した時代には往々に虚が実を駆逐する。今ならネットが両刃の剣となって虚をばらまく。
 思えば、白バラの若者たちが命がけで抗したヒトラーも、「ポスト真実」の土壌から台頭した独裁者だった。人は小さなうそより大きなうそにだまされやすいと平然と述べ、大衆の理解力は小さいが忘却力は大きいなどと、寄り添うふうをしながら徹底して大衆を蔑視した。
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 政治家を「考える」タイプと「思う」タイプに分けるなら、政権を去ったオバマ氏は前者であろう。
 挑発より説得を、対立より協調を擁護する手法は、ときに非力に見え、優柔不断と批判も浴びた。だがそれも、分裂への地鳴りが常に響いている多様な米社会のもろさ、民主主義に内在する(今回のような)危うさを深く認識すればこその「考え」であったと推察する。
 トランプ氏は後者だろう。好き嫌いを軸にものごとを判断し、保水力のない心は思いを衝動的に吐き出してしまう。往々にしてこのタイプの方が決断力に富み英雄的で、強く見えるのが厄介だ。
 トランプ大統領の誕生は、「思う」がもてはやされ、「考える」が面倒がられるネット時代の必然かもしれない。米の民主主義がもたらした世界への劇薬であるのは、いまのところ間違いない。