維新150年。教育は国家百年の計であるがゆえに教育格差があってはいけない。

 明治維新150年は、茨城県から見れば、水戸徳川家に生まれた15代将軍、徳川慶喜が大政奉還を行ってから150年。明治維新の原動力に水戸藩がありました。
 水戸藩を中心に茨城圏域は、幕末維新に大きな役割を果たしたにもかかわらず、薩摩や長州に比べて歴史的に見えづらい印象があります。
 県立歴史館主任研究員の由波(よしば)俊幸さんは「幕末は、下級武士が天皇を動かすなど、例外的な状況が次々に起きた。多くの人にチャンスが開けた時代だが、こうした歴史の大転換は、自らの正義を貫き通した志士の非業な死の上に成り立っている」と指摘。
 水戸は、2代藩主、徳川光圀の「大日本史」編さんで醸成された独特の歴史意識があり、9代藩主、斉昭が開設した藩校弘道館などには、「学問の府・水戸」の先進性があります。藤田東湖、武田耕雲斎、山口頼母らがあげられます。また、儒学者、会沢正志斎が1825年に著し、8代藩主、斉脩(なりのぶ)に献上した意見書「新論」は、通商を迫る列強による民心の動揺を対外的な危機と捉え、その上で民心統合のための方策を述べる同書は、他藩の志士から“バイブル”のように重視されました。
 水戸藩の中下級藩士を中心に、急進的な尊皇攘夷を唱えた天狗党。そして、徳川慶喜が行った大政奉還という歴史的決断は、日本が近代化に向かう上で果たした意義があると言えましょう。
 慶喜が将軍就任3カ月後に揮毫した一字書は、「誠」。「大政奉還上意書」では「今後の展望について意見がある者は、忌憚(きたん)なく申し述べるように」と、家臣に向けた言葉で締めくくり、慶喜の豊かな歴史観と時局意識に裏打ちされた、悲壮なまでの決意があったと伝えられています。
 明治維新150年をいかに捉えるのか。桜田門外の変など、水戸には血なまぐさい印象を払しょくできないマイナスがあるのかもしれません。歴史の俯瞰を改めて行うべく明治維新150年ではないでしょうか。
 下記は、公明新聞のコラム「北斗七星」です。ここでも「教育」の重要性を訴えています。身分に関わらず教育するの現代的な展開は教育格差の是正ということです。
コラム「北斗七星」  公明新聞:2018年1月22日(月)付
明治維新から150年を迎えた今年、ゆかりの鹿児島、山口などでは、記念イベントが華々しく行われている。一方、新政府軍に最後まで抵抗した福島県会津では「戊辰戦争150年」と銘打ち、その歴史的意義を再認識しようという行事が盛んだ◆薩摩、長州と会津、宿敵のようにいわれるが、いずれの藩も子弟教育への熱意は共通していた。薩摩の「郷中」や会津の「什」では、子どもたちが地域ごとに集団となって自主的に教え、学び合った。長州は身分にかかわらず有為な人材の育成に力を注いだ◆新政府軍による会津討伐は苛烈を極めたが、白虎隊に属し、戊辰戦後は長州出身者の援助で学問を磨き、東京帝国大学の総長となった山川健次郎など、明治に活躍した会津出身者も少なくない。国家建設のために広く人材を求めた明治政府の思いも伝わってくる◆150年を経ても、教育の充実の重要性はいささかも変わらない。しかし今、家庭の経済状況で生じる教育の格差が日本の将来に影を落としている。最近、小学4年生で学力の差が開いてしまう「10歳の壁」が問題になっているが、その背景に家庭の所得格差があるとも指摘される◆まさに「教育は国家百年の計」。本格的な人口減少時代に向かう今こそ、一人を大切にする教育環境を確実に築き上げる時だ。(千)